- ごあいさつ
- 事業紹介
- 創業者紹介
- 沿革
- 概要
西陣で帯作りを続ける紫紘は、製造から卸まで手がけるめずらしい形態をしています。小売店様からの直接のお声を元に、よりニーズに応えるダイレクトな商品開発を行っています。
また、西陣の 作りにかかせない「紋紙」制作のコンピューター化にいち早く取り組み、自社製造することで独自の技術を蓄積し、様々な意匠表現を可能にしてきました。
時代と共に移り変わるもの、変わらないものを注視し、何時の時代にも新鮮な提案を指針に、織物作りに努めて参ります
時代と共に移り変わるもの、変わらないものを注視し、何時の時代にも新鮮な提案を指針に、織物作りに努めて参ります
紫紘では着物の帯を中心とした織物作りをしています。
企画、デザイン、織設計、製織、販売までの工程を社内で手がけています。これは分業制をひく西陣の中では珍しいことですが、お客様のご要望にも直接触れ、よりニーズにあった提案が可能であるなど、独自の技術を蓄積した織物製作には欠かせない体制であり、こだわりとなっています。
企画、デザイン、織設計、製織、販売までの工程を社内で手がけています。これは分業制をひく西陣の中では珍しいことですが、お客様のご要望にも直接触れ、よりニーズにあった提案が可能であるなど、独自の技術を蓄積した織物製作には欠かせない体制であり、こだわりとなっています。
弊社の織物の特徴としましては、様々な織組織を一枚の織物の中で使い分け、織による絵画的な表現があります。「紋織」といえば、有職紋様や唐織といった織比較的シンプルな織物でしたが、明治期に西陣に導入されたジャカードを駆使することによって、より複雑な織物組織を織れるようになりました。
綜絖(そうこう…呼ばれる経糸を上げ下げする装置 棒刀 伏セ)の枚数の 非常に多く使い、また経糸自体も2層以上の(地経とからみ経)を使用することによって、求める意匠の表現を追及してきました。
今では当たり前となりましたが、いち早くコンピューターによる織物設計に取り組み、伝統的な柄は基より、古今東西の様々な意匠も手がけています。
今では当たり前となりましたが、いち早くコンピューターによる織物設計に取り組み、伝統的な柄は基より、古今東西の様々な意匠も手がけています。
また身に付けるものであることから、風合い、締めやすさを重視して 細糸を経糸、緯糸共に多く密に織り込むことで、薄く軽くかつしなやかな 生地となるよう設計しています。素材に関しても、最高級品質とされる 絹糸ブラタク糸を使い、三椏から作られる和紙に本金やプラチナ、本銀、 ラッカーなどの装飾を施した「引き箔」は、弊社の看板とも言えるアイテムとなっています。
製織に関しては、手織、力織機ともに織物に応じて併用し製織しています。 特に手織りに関しては本社3階に機場を設置しており、20代の若手から70代の大ベテランが共に製織しており(2020年)、手織りでしか不可能な織物の製織と共に技術保存にも努めています。
創業者 伊太郎略歴
(やまぐち いたろう、1901年12月18日~2007年6月27日)
紫紘の創業者、山口伊太郎は、織物が織られる前に意匠、素材、織組織などすべてを考慮し、多くの工程と多くの職人を統括する、いわば織のプロデューサーです。
小学校卒業した後に、親戚の織屋に丁稚奉公へ。10代後半には山口織物所として独立し、様々な織技術を考案し独創的な帯の制作をはじめます。その背景には、明治期の西陣で、フランスからジャカード機を導入することで、それまでの技術に加えて自在な紋織が可能となったことがありました。
第二次世界大戦中に織物業を一時中断を余儀なくしますが、戦後に再開、其の後、紫紘株式会社を創業します。また戦時中に廃業した西陣の織屋が再開するにあたって、西陣織工業組合の設立に尽力し、西陣織物館理事長を歴任します。
小学校卒業した後に、親戚の織屋に丁稚奉公へ。10代後半には山口織物所として独立し、様々な織技術を考案し独創的な帯の制作をはじめます。その背景には、明治期の西陣で、フランスからジャカード機を導入することで、それまでの技術に加えて自在な紋織が可能となったことがありました。
第二次世界大戦中に織物業を一時中断を余儀なくしますが、戦後に再開、其の後、紫紘株式会社を創業します。また戦時中に廃業した西陣の織屋が再開するにあたって、西陣織工業組合の設立に尽力し、西陣織物館理事長を歴任します。
欄干にかかる夏の織物。
透ける表現に試織が何度も繰り返された。
戦後、西陣は、ガチャ万時代という好況が到来します。皆が大きく商売をする中、伊太郎は1970年頃より、商品として織物作りではなく後世に残るものをと
織物による源氏物語絵巻、「源氏物語錦織絵巻」の制作に着手します。その制作は当初10年を予定し80歳での完成を目指しましたが難航し、長生きをすることで納得いく物作りを続けました。長期に渡る制作期間の中で、技術革新もあり、織物の設計においては、1970年代後半から自社開発のコンピューターによる画像処理システムを用い、コストの面で難しかった試織の繰り返しが可能となり、より織りによる意匠表現を高めていきます。
こうした努力は亡くなるまでおよそ37年間続けられ、最終巻の織製の指示をし、完成を待つのみとなった2007年春、それを見ることはなく、同年6月27日に老衰のため105歳で逝去しました。
こうした努力は亡くなるまでおよそ37年間続けられ、最終巻の織製の指示をし、完成を待つのみとなった2007年春、それを見ることはなく、同年6月27日に老衰のため105歳で逝去しました。
尚、制作された「源氏物語錦織絵巻」は、19世紀初頭(1801年)ジャカードを発明制作したジャセフ・マリー・ジャカール氏、および、明治期に技術研修に渡仏留学した西陣よりの伝習生による技術移転の歴史を奉賛し、それに報じるべく、フランス国立ギメ東洋美術館に寄贈、永久所蔵されています。